投資と投機

この前

投資(Investment)と投機(Speculation)は違う」とかつて教えられたことがある。株式投資で一攫千金を狙うというイメージがあったのが投機。投資は着実にお金を殖やすイメージ。

『これからの時代、まっとうな投資知識を身につけて、正しく行動するようにしましょう』と考えていたのが2000年前後だったと思う。それから約20年。まっとうな知識を教えてもらえる機会は多くの人に訪れていない。私もそうだが、昭和世代の人の言い訳の一つが、「学校で教えてもらっていない」。自分たちで考えることをしてこなかった人たちにとって、柔軟な発想が求められることほどつらいものはない。

「正しく行動する」ことも問題。正しく行動するとは、合理的に行動することと考えるのであれば、私たちは今もって正しく行動できていない。

続く

ポートフォリオ

この前

ポートフォリオについては、いろいろな箇所で触れている。ポートフォリオの概念を抜きにして、ファイナンス理論は成り立たない。ただし、ポートフォリオの意味するところは、年を経て変化してきた。

1990年以前は、個別の株式や債券、あるいは、特別な債券の集まりがポートフォリオであった。1990年代になると、投資信託が脚光を浴び始め、どのファンドに投資するかが焦点になった。さわかみ投信などが脚光を浴びたのもこの時期である。2000年ごろになるとアセットアロケーションへの妄信が顕著になる。ポートフォリオの意味するところは、資産クラスへの配分になる。「アセットアロケーションで投資の9割は決まる」といわれたが、何の9割がアセットアロケーションで決まると説明されていたであろうか?

現在、ポートフォリオは、定期積立、税制優遇、リスク回避などの仕組みの束ととらえたほうがよいと思う。リスク・リターンの特性は、アセットアロケーションで決まる。これは正しい。しかし、投資家は、リスクもリターンも直接コントロールできない。だから、投資家から見て、直接コントロールできる手続きの束がポートフォリオと考えたほうがよい。ここで、ポートフォリオ自体は何ら変わっていない。

続く